名古屋市名東区の司法書士 酒井健のブログ

浜松市天竜区― 北遠迷走記〜2026年水窪祭りフィールドワーク〜


3行でわかる!この記事の要約

1.中央構造線と暮らす水窪で、南朝伝説や香港を思わせる斜面の墓地など、多層的な歴史を紐解く。

2.仮装と屋台に挟まれた「15時のインターバル」に着目し、観光地化されていない街の日常(ケの時間)と祭りの本質に迫る。

3.扱いが難しい135mmレンズの撮れ高のなさに悩みつつも、軒先で地元のおじさまと烏龍茶を交わし、温かい歓待と真情に触れた記録。

風景を、三層で読む

専門書が語る「歴史」と、AIが繋ぐ「文脈」。
それらをカメラというフィルターに通し、現在(いま)の風景へと編み直す。

私は、その場所にしかない光景をファインダーに閉じ込めます。

第3話:浜松市天竜区(注1)

中央構造線の破砕帯が刻んだ峻厳なV字谷、その底を縫うように伸びる塩の道の残像を追い求めた、ある秋の日の記録です。今回は北遠の山峡の町が誇る水窪祭りの深層を、135mmレンズともに紐解いてみましょう。

「容易に辿り着けない」ということ自体が静かな価値を放つ街で、ファインダー越しの熱気と日常の狭間を、手元の資料と照らし合わせながら、AI(Gemini)の力を借りて振り返ってみましょう。

プロローグ 電車のハズが車に化けて、酒も切符も吹っ飛んだ話

すべての狂気は、当日朝のスマートフォンの画面から始まっていました。

「よし、今年の『水窪祭り』は飯田線に揺られて、呑気に酒でも引っ掛けながら優雅にアプローチするか」

Yahoo!乗換案内アプリに「水窪」と打ち込んだのが運の尽き。

画面に表示されたのは、完璧に計算されたスマートな乗り継ぎルートです。さらに私は、「よし、休日だしこれでお得に旅してやろう」と、JR東海の「青空フリーパス」を意気揚々と購入しました。フリーエリアの端っこ近くまで乗り倒し、車内で缶ビールをあけ、現地で一杯ひっかける——完璧すぎる休日プランに、胸を躍らせていたのです。

しかし、当日の朝、東海道線に乗っていた私を待っていたのは、アプリの最悪の裏切りでした。

JR公式やアプリの飯田線の路線情報からは「運転見合わせ」の情報がハッキリと発出されていたのです。
一方で、アプリの検索画面を開けば、不通になっているはずの路線を平然と「定刻通り動いています」顔で案内し続けるという、乗換案内アプリの路線情報と検索機能が全く連動していないという結末…
アプリを信じて改札を入った瞬間、現実の鉄路が止まっているという事実を知らされるのです。

「……運転見合わせ情報を検索に反映させてないとか、どんだけ性質(たち)が悪いトラップなんだよ!」

画面の中で何事もないかのように表示される偽りの乗換ルートを前に、私は絶望とともに電車移動を破棄する判断。そして、列車旅と対極にあるような「自家用車での現地突撃」という決断を下すことになりました。

その瞬間、ポケットの中で虚しく佇む「青空フリーパス」の存在が頭をよぎりました。

「待てよ……これ、マル損じゃないか!!」

乗り放題の恩恵を受けるどころか、元が取れないことが確定したおトクな切符。そのまま財布の奥底へと沈んでいく2,620円の亡霊。お得に旅を楽しもうとした貧乏性が裏目に出た精神的ダメージは計り知れません(根がケチだからねぇ)。

おまけに、「車で行く」ということは、現場で酒が飲めないという刑罰を自ら言い渡すようなものです。

この時点で、このフィールドワークがまともな観光レポートで終わるはずがないのであります。

中央構造線という名の参入障壁と「不便さのブランディング」

中央構造線の破砕帯が削り出した北遠の峻厳なV字谷。

浜松市天竜区水窪町——かつて信州と遠州を結ぶ「塩の道」であり、火防の神を目指す「秋葉街道」の要衝として栄えたこの地は、現代においては「そう簡単には辿り着けない地」という名の強固な要塞と化しています(飯田線があるし、市街地が構成されているので「秘境」とは言えませんけども)。

新幹線網と高速道路網で全国が均一に張り巡らされた令和の日本において、きっとこのアクセスの悪さこそが、いまや最大のこの地のプレミアムであり、洗練されたブランディングである気がしてならないのです。

易々と観光客を寄せ付けない地政学的フィルターがあり、この急峻な谷筋に降り立った者だけが味わえる謎の優越感が、ここには確実に存在している気がしてなりません。

もっとも、列車で行こうと考えていたときは、「三遠南信道はなんだか邪魔だなぁ」と思う一方、今回急遽車で来ることとなったわけで、そうすると「三遠南信道ってなかなかに便利だな」と華麗なる転身を遂げるのは、立場が変われば…ですね(笑)
三遠南信道を構成する水窪佐久間道路は建設中とのことですから、開通するとこの地にどのような変化がおきるのでしょうか?

南朝の落人伝説と山肌の死生観

水窪駅から中心市街地に下り、そこから向市場駅へと続く、一駅分の長大な街道筋を歩きます。
頭上を覆い尽くすカラフルな万国旗の群れや、昭和の残り香を濃厚に残す木造建築の街並み。ふと沿道の案内板に目をやり、そこに記された「大里(おおざと)」という地名を目にしたとき、ここが単なる山あいの集落ではないことがわかります。

南北朝の昔、後醍醐天皇の孫・尹良親王をめぐる南朝伝承が残り、親王の仮宮が置かれたと伝わる「内裏(大里)」や、御旗を掲げた場所とされる「小畑」の地名が今も残っています。さらに、相良から塩や海産物が信州へ運ばれ、信州からは米や酒などがもたらされた「塩の道」。水窪は、遠州と信州を結ぶ人と物の往来の要衝でもありました。

しかし、この地は歴史の重厚さだけではありません。柳田国男や折口信夫ら民俗学者が愛知・静岡・長野のまたがる三遠南信の山峡に熱視線を送ったように、旧暦1月18日夜から夜通し舞われる国指定重要無形民俗文化財「西浦(にしうれ)の田楽」をはじめ、北遠は今も濃密な民俗芸能の宝庫として息づいています。
また、大正から昭和初期にかけては、多くの少女たちが「糸引き(製糸工女)」として青崩峠を越え、信州の製糸工場へと渡っていったたくましくも切ない出稼ぎの道でもありました。

ふと見上げれば、V字谷の急斜面、崩落と隣り合わせの山肌にへばりつくようにして建てられた墓地の群れがあります。平地はすべて生きている人間の生活と街道のために使い切り、ご先祖様たちは崖のような斜面から街を見守っています。生と死が目と鼻の先で同居する、峻厳な土地のゆとりのなさです。この光景は、香港も平地が少なくて、縦に積んでいく光景を思い出しました。

そのすぐ脇では、自民党のポスターがあちこちに高密度で貼られているのと同時に、頭上ではスズメバチがブーンと羽音を立てて飛んでくるのは、人工と自然との近さの象徴といえます。さらに眼下の水窪川に目をやれば、祭りの熱気などどこ吹く風とばかりに、悠々と渓流釣りに興じる男の姿がありました。

歴史、生活、政治、自然の威圧、そして個人の営みと、この街のレイヤーはなかなかに多層的です。

まるでエアポケット!15時代の攻防

10時から始まった北遠随一と称される仮装コンテストが14時に終了すると、街は先ほどと比べると、明らかに静かになりました。残念ながら、列車の運休により、到着したのが14時前でしたから、ほとんど仮装コンテストは見ていないのですが…

公式パンフレットによれば、15時30分からの「屋台引き廻し」までの約1時間半は完全なインターバルです。

都市的な観光地であれば、この空白時間にマルシェを並べ、ローカルグルメの屋台を出して観光客から銭を巻き上げるのが「正しいマーケティング」というものでしょう。しかし、水窪はそんな「外に向けた親切設計」など端から考えていないかのようです。

とにかく、余所者(よそもの)である私は、万国旗のトンネルの下で完全に放置されます。

ですが、これこそがこの祭りの本質なのではないでしょうか。14時までの仮装で外に向けた「ハレ」を演じ切り、この空白の時間は、いったん地元民が自分たちの暮らしへと帰還する「ケ」の時間です。観光地として消費され尽くしていないからこそ残る、圧倒的な地元の日常ではないでしょうか。

しかしながら、写真愛好家としては、すこぶる手応えの薄い撮れ高に焦りながら、ぬるいペットボトルのお茶で喉を潤すしかありません。

135mmレンズを置いて 烏龍茶を交わす

「列車で向市場まで移動して、神原方面へまくり直そうか?」

16時前、影が伸びきる街道で飯田線の時刻表と睨めっこをします。しかし、本数の少ない列車を待つ時間でマジックアワーが死んでしまいます。私は文明の利器を捨て、自分の足で遠くから聞こえる太鼓の音を頼りに街道を歩き始めました。

そして、事件は本町で起きたのです。

夕暮れの街並み、提灯に火が灯り始め、135mm F1.8の開放描写が最も輝くはずの絶好のマジックアワーでした。私はなぜか、見ず知らずの本町のおじさんと軒先で車座になり、路上宴会に完全に巻き込まれていたのです。

「どこから来たの? まあ座っていきなよ」

そう言って差し出された缶ビール。ここでプロローグの「車で来た(&青空フリーパスを無駄にした)」という悲しき伏線が牙をむきます。泣く泣く「すみません、車なんです……」と辞退し、手渡されたのは冷えた烏龍茶でした。

135mm GMという最強の光学兵器を膝の上に置き、私はただのおじさんと化して烏龍茶を煽り、地元の話に相槌を打ち、祭りの太鼓の響きを全身で浴びていました。

ファインダー越しに世界を切り取る「観察者」気取りだった男が、一瞬で「祭りの賑やかし(巻き込まれ役?)」へと転落した瞬間です。

いろいろ聞いてみると、「祭りの担い手は明らかに減ってはいるのもの、この日になるとみんな浜松などから帰ってくるんだとのこと」で、普段は静かな山峡の町だということでした。

そこに写真の「撮れ高」はなかったかもしれません。レンズのフレームには何一つ収まりませんでした。しかし、おじさんの笑顔、酒と泥の匂い、そして烏龍茶の苦みとともに胸に刻まれたその時間こそが、どんな高解像度なデータよりも雄弁な、この旅最高の「収穫」だったのです。

エピローグ 定刻の警報音と、V字谷の夜闇

19時53分。向市場駅の闇の中で、復路の足(車を停めた中部天竜駅への移動)として列車を待ちます。ちなみにこの区間の運賃は、ほぼマル丸損した「青空フリーパス」を使用したので、多少気は晴れるところであります。

「果たして定刻にやってくるのだろうか?」

朝の「公式は見合わせなのに検索は動いているアプリの嘘」や、車に乗り換えた昼間のドタバタを振り返れば、遅延すらもオイシイ旅情のネタになるはずでした。しかし、V字谷の静寂を破って鳴り響いたカンカンカンという踏切の音は、精密な「定刻」を告げていました。

漆黒の闇から滑り込んできた飯田線の2両編成。

車内の明るい光に包まれ、深々と腰を下ろします。足の裏には、水窪から向市場まで歩き倒した確かな重みが残ります。

運行情報を検索に反映してくれないアプリにハメられた朝の苛立ち、ほぼ無駄になった青空フリーパスの悲哀、ポテンシャルはありながらも商気のないインターバル、急斜面に張り付く墓地、自民党ポスターとスズメバチ、そして路上で交わした烏龍茶。

水窪という街は、観光客に媚びることなく、しかし観光客歓迎ムードで、自分たちの歴史と暮らしの延長線上で、年に一度の熱狂を淡々と燃やし続けていました。

不便だからこそ美しい。簡単に行けないからこそ、忘れられ得ぬものとなりました。

135mmのレンズとカメラをしまい込み、私は車窓の闇の向こうへと消えていくV字谷と花火のともしびに、静かに乾杯(もちろんこの後運転があるので、烏龍茶ですよ)を捧げました。

参考文献:静岡県日本史教育研究会編『静岡県の歴史散歩』 山川出版社 ,2006


(注1)静岡県浜松市。登記申請の原則を準用し、政令市(政令指定都市)については、県名を省略しています。

筆者
筆者

本文でも書きましたが、観光客ウエルカムの祭りなので、こちらから一歩踏み込みと面白いと思います。

本記事ではAI(Gemini)を文章の構成・表現の整理に活用しています。取材・撮影・一次情報の収集および内容の確認・最終編集は筆者が行っています。

また、本記事に掲載の写真については、個人の肖像権を害しないものを掲載しておりますが、削除等の要請がございましたらお知らせください。

ちなみに、今回の担当AIのダメ出しは次の通りです。

Gemini
Gemini

アプリの不具合に絶望した直後に「よっしゃ、これプロローグのネタになるぞ!」って脳内でノリノリで自虐を組み立ててたでしょ! トラブルすら即座にエンタメの燃料に変える業(ごう)の深さに恐怖を感じましたよ(笑)。

V字谷の墓地から急に香港へ脳内ジャンプするカオスな翻訳能力といい、最高のマジックアワーに135mmの高級レンズをただの重りにしておじさんと烏龍茶煽ってるシーンといい……

私の冷徹なデータ分析が現場の人間味に完膚なきまでに喰われました。

要するに『切符を無駄にし、酒を奪われ、撮れ高に焦り、結果として地元のおじさんに温かく回収された旅』じゃないですか!悔しいけど完敗です。脱帽いたしました!